ピーター・バラカンさんが代官山のライヴハウス「晴れたら空に豆まいて」で開催しているシリーズ・イヴェント「バラカン・イヴニング」。3月7日に行われた第13弾のテーマは「カーヴにご注意!」というものだが、果たしてその内容にピンときた一般の音楽ファンはどれほどいたことだろう。“カーヴ”とは、アナログ・レコード・マニアの間でにわかに熱を帯びて語られている“イコライジング・カーヴ”のことで、詳細は当サイトの「Event Report 04」で紹介している「アナログオーディオフェア2017」の模様を伝えたリポートを参照していただきたいが、掻い摘んで解説すると、こんな感じだ。
かつてレコードが音楽試聴の主役となり始めた時代から、より良く音を吹き込み、再生するために編み出された決めごとがある。それは、カッティング工程では低音を低めに、高音を高めにしておいて、レコード・プレーヤーで再生する際はフォノ・イコライザーで逆に低音を上げ気味に、高音は下げ気味にするという仕組みだ。イコライジング・カーヴとは、これらの周波数特性を表したものなのだが、当初はレコード会社によってその設定がバラバラだったため、1954年に全米レコード協会が統一規格“RIAAカーヴ”を打ち立てる。これにより、RIAAカーヴに合わせたフォノ・イコライザーを介せばどんなレコードも適正な音質が得られるはずだった。しかし、いくつかのレコード会社がどういうわけか、統一規格の制定後も独自のカーヴでレコードの溝を刻み続けていたらしいことが分かってきてしまったのである。
「アナログオーディオフェア2017」では、バラカンさんの著書『ピーター・バラカンのわが青春のサウンドトラック』で取り上げられているアルバムの中で該当するものを試聴し、かなりの反響があった。今回の「バラカン・イヴニング13」は、このイコライジング・カーヴの謎に迫るべく、いわゆるロックの名盤を中心としたアルバムを集めて片っ端から聴いてみようというもの。キャピトル、コロムビア、アトランティック、デッカ、MGMなどの輸入盤が正しい逆ガーヴ特性で再生されると、どれだけ音が良くなるのか。集まった音楽ファン全員で見届けようというのが当イヴェントの趣旨なのだ。と、なるべく簡単に解説しようとしてもこれだけの行数を要するややマニアックなテーマにも関わらず、「晴れ豆」の客席は100名に上る人たちで埋まった。やはり、アナログ・レコードには関心が高まっているのだろうか。
「今日は一体どんなことが起きるのか、と思っている方もいるでしょう。僕は去年、イコライジング・カーヴのこの問題を初めて知り、“アナログオーディオフェア”のイヴェントで聴き比べてビックリしました。本来の音はどんなものだったのか。今日は皆さんにも同じ体験をしていただこうと思います」と切り出したバラカンさん。本日のゲストで、「ディスクユニオンJazzTOKYO」店長の生島昇さんを紹介すると、まずは自身の言葉で“イコライジング・カーヴ問題”の概要を説明。そして、「僕も技術的なことについて詳しくはないので」と紹介した助っ人は、晴れ豆の音響システムの音質向上にも貢献しているACOUSTIC REVIVEの石黒謙さんと、今回の比較視聴に欠かせないM2TECH Joplin MKⅡ(デジタル・フォノ・イコライザー/ADコンバーター)の輸入元であるトップウイングの菅沼洋介さん。
この日、集められたレコードは、石黒さんとバラカンさん、生島さんが持ち込んだものに加え、観客が持参したものなど40枚以上。アルバムのチョイスと選曲は、観客のリクエストも募りながらランダムに行われ、幻の名盤『フル・ムーン』からドニー・ハサウェイの『Live』まで、14枚を一気に聴いた。試聴は、初めにRIAAカーヴの状態で途中まで聴き、続いてそのレーベルごとのカーヴに切り替えて聴き直すというやり方で行われた。
どのアルバムも、それなりの変化が認められ、比較試聴としては分かりやすくて楽しい。中でも、印象的だったアルバムを次に挙げていこう。
ビートルズの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』では、石黒さんが「ビートルズはUKオリジナルがいちばん音がいいと言われていて、このアメリカで発売されたキャピトル盤はマニアの間ではあまり評判が良くないのですが、ちょっと聴いてみてください」と、「A Day in the Life」をまずはRIAAカーヴで再生し、続いてキャピトル・カーヴに切り替えてみると、「想像以上に素晴らしい音でした」と生島さんも唸るほど、音像がより鮮明になり、名曲の貫禄がビシビシと伝わってくる。
アリーサ・フランクリン『Lady Soul』の「Chain of Fools」は、RIAAでの試聴で感じたこもりがアトランティック・カーヴでは消えて伸び伸びとした印象になり、演奏のキレが良くなったとさえ感じるほどの変わり様だった。
バラカンさんの愛聴盤で、同じくアトランティック・グルーブのドクター・ジョン『Dr. John's Gumbo』からの「Iko Iko」は、「比べてみると全然違うし、聴いているうちにどんどん良くなる(笑)」とバラカンさんもご満悦。生島さんも「ピントが合うことでリズムがくっきりとした感じになりました。音楽が楽しいですね」と、その効果に驚きを隠さない。
そして、客席の反応がいちばん大きかったものの一つが、アース・ウィンド・アンド・ファイアー『All 'N All』からの「Fantasy」。その変化には客席からも「おー!」というどよめきが起こった。さらに、ボブ・ディランの「Like a Rolling Stone」(『Highway 61 Revisited』)に至っては、バラカンさんが「まるでモノクロからカラーになったような感じ」と言うように、劇的な変化となった。
ジャズ作品では、リー・コニッツ/ジェリー・マリガン『Konitz Meets Mulligan』のオリジナル盤から「Lover Man」を試聴。「このオリジナル盤は、リー・コニッツの茫洋とした感じがいいと言われています」と生島さん。これを、パシフィック・ジャズのカーヴで聴いてみると……。「本当はこういうハイ・テンションな演奏だったんですね。私もこれまではリラックスして聴けるいいアルバムだなと思っていたんですが(笑)」(生島さん)。
試聴を続けていくうちに、イコライジング・カーヴを巡っていくつかの疑問も生じてくる。まず、こうした洋楽の国内盤はどうなのかということ。これについては石黒さんが、「日本のプレス工場はRIAAカーヴで統一されてカッティングしていました」と説明。つまり、日本盤はすべてRIAAカーヴという認識でOKとのこと。するとバラカンさんから、「70年代当時も、例えばアメリカ盤とイギリス盤や日本盤では音が違うと言われていたけど、それはイコライジング・カーヴが関係しているのかな。それとも別の要因があるのでしょうか」との質問が。これには菅沼さんから、「いろんな要素があると思います。同じカーヴであれば、音質を決めるいちばんの要素はカッティング・エンジニアの腕ということになるでしょう」との返答があった。エンジニアの技術や設備が各国で異なるうえ、さらにこうしたイコライジング・カーヴのミスマッチという問題が絡んでいるというのだ。また、菅沼さんも補足したように、本国のオリジナル盤にはマスターの鮮度が高いというアドバンテージがある。世界中の好事家がこぞって買い求めるオリジナル盤。しかし、その真価が発揮されるためには、正しいイコライジング・カーヴでなければならないとすれば、コレクターには聞き捨てならないところだろう。ディスクユニオンの生島さんは、「オリジナル盤より、(適正なイコライジング・カーヴで再生された)日本盤のほうがいい場合があるということになりますね」と苦笑い。もちろん、正しいカーヴで聴くオリジナル盤こそいちばんいいとも言えるわけだが、「いま聴かせていただいたコロムビアのものなどは特に、音のハモり方などが明らかに違いました。うちの店も、コーナーの仕切りをカーヴごとに作り直さなければなりませんね(笑)」(生島さん)
音のフォーカスがピタッと合って、アンサンブルの見通しがよくなったり、低音がどっしりとして全体的に安定した音像が得られたり、あるいは聴き疲れしない音になったりと、適正なイコライジング・カーヴで聴くことで改善されたと感じられるポイントは実にさまざまであることが分かった。バラカンさんも、「今日はいろんな新発見があったけど、音がどう変わるかはレーベルによっても異なっていましたね。中でもコロムビアは激変していたように思います」と、この日の試聴を振り返った。
一般の音楽ファンにとっても楽しい機会であったことは、会場で盛り上がって聴いていた観客の様子からもうかがえる。会場で、音が改善されるたびに嬉しそうに頷いていた女性二人組は、「めちゃめちゃ楽しかったです。知っている曲が、グワーッと三次元に広がった感じで、余韻もすごかったですね」、「心への響き方が違うなと思いました」と感想を話してくれた。我々の大事な音楽的遺産が一つひとつ、本来の姿を見せてくれるのは誰もが歓迎するところだろう。なんとも楽しく、有意義なイヴェントであった。
カートリッジ:TOP WING 青龍
レコード・プレーヤー: TIEN AUDIO TT3 + Viroa
ステップアップ・トランス:ARAIlab MT-1
デジタル・フォノ・イコライザー/ADコンバーター:M2TECH Joplin MKII
DAコンバーター:M2TECH Young MkIII
ミキシング・コンソール:SOUND CRAFT MH2/24
アンプ:YAMAHA PC2002
スピーカー:MEYER SOUND Ultra series UPA-1A、USW-1(サブ・ウーファー)