Contents
◎Live Review
Ousmane Ag Mossa(Tamikrest) at HARETARA SORA-NI MAME MAITE
◎Featured Artist
David Byrne
◎Recommended Album
David Byrne『American Utopia』, Talking Heads『Remain In Light』, Ryuichi Sakamoto『B-2 Unit』, XTC『English Settlement』
◎Coming Soon
Tchavolo Schmitt
◎PB’s Sound Impression
Cafe Restaurant“KBJ KITCHEN”
構成◎山本 昇
Introduction
今日は中央線の国分寺駅のすぐ近くにあるカフェ・レストラン「KBJ KITCHEN」にやって来ました。JBLの大きなスピーカーを中心としたサウンド・システムにもこだわったお店ということで、どんな音を聴かせてくれるのか、楽しみです。
中央線の想い出と言えば、ずいぶん昔の話になりますが、僕が日本に来て初めて住んだのが吉祥寺でした。務めていたシンコーミュージック(現シンコーミュージック・エンタテイメント)の同僚が、「吉祥寺あたりがいいかも」と勧めてくれたんです。それで不動産屋を訪ねたら、最初の物件は大家のおばさんに「外人はダメ」と断られましたが(苦笑)、別の不動産屋で紹介してもらった井の頭公園のすぐ近くの部屋に入居することができ、3年ばかり過ごしました。レコード屋と、安くてそこそこ美味しい食堂がたくさんあって、当時からあの町は大好きでしたね。
ところで、僕は今日ここに来る前に、すごく久しぶりに立川に寄ってきたのですが、駅前は何だか未来都市のようになっていてびっくりしました。なぜそこで降りたのかというと、プロデューサーの立川直樹さんに以前から、立川にある「シネマシティ」というシネマ・コンプレックスの音響システムを聴きに来ないかと誘われていたからです。そこではちょうど『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』をやっていましたが、確かにすごくいい音でした。上映作品に合わせて、音響の調整も行っているそうです。音楽系の映画をそのシステムで聴けたらいいだろうなと思いました。実際に、この映画館では今のところ月に1回ほど、音にこだわった“極音”という上映イヴェントを行っているんですね。今後、僕も何かお手伝いできるそうなので、楽しみが一つ増えたかなという感じです。
Live Review
新世代トゥアレグによるロック・テイストも感じさせる
“砂漠のブルーズ”
Ousmane Ag Mossa(Tamikrest) at 晴れたら空に豆まいて
5月9日、代官山の“晴れたら空に豆まいて”で、タミクレストのリーダー、ウスマン・アグ・モサのソロ・ライヴが行われました。もともとトゥアレグの音楽に興味があったこともありますが、僕にとってはとてもいいライヴでした。
ティナリウェンもそうですが、いわゆる“砂漠のブルーズ”と言われる音楽をやっているミュージシャンの多くはトゥアレグ族の人たちです。大昔からサハラ砂漠を行き来しているベルベル人系の遊牧民で、いわゆるブラック・アフリカンでも白人でもアラブ人でもない民族の一つですね。あの地域では植民地の時代に、フランスをはじめとする宗主国が国境線を引いて、アルジェリア、リビア、マリ、モーリタニア、モロッコなどに分割しました。かつての砂漠には国境線なんかなかったのに、ある時から「あなたはアルジェリア人」、「あなたはマリ人」ということになってしまった。もちろんトゥアレグの人々は反発し、ときに蜂起しますが、政府軍に抑え込まれてしまいます。そんな中、リビアのカダフィが戦術を授けようとトゥアレグの男たちを集めたんですが、そのキャンプでギターを覚えた人がいたんですね。それまでのトゥアレグの音楽は女性の歌が中心で、あとは打楽器の伴奏が付くというものだったそうですが、そこへ今度はエレキ・ギターを習う人が出始めた。「銃を捨て、ギターを手にした」というのは少し美化しすぎた言い方かもしれませんが、男性が主体となってエレキ・ギターのシンプルな演奏を反復し、そこに歌や手拍子などが加わることで砂漠のブルーズが出来上がったのです。ティナリウェンはその先駆者として最初に欧米で注目されました。同様のスタイルでこれに続くバンドもいくつか登場していて、タミクレストもその一つです。
ウスマンは遊牧生活を経験していません。彼らの世代からは街に定住して暮らす人が増えているんですね。タミクレストには女性のヴォーカリストやフランス人のメンバーもいて、トゥアレグのほかのグループに比べるとちょっと洗練された雰囲気があります。ウスマンはジミ・ヘンドリクスやエリック・クラプトン、ダイアー・ストレイツの音楽も好きだそうですが、彼の音楽にはブルーズとロックの両方のテイストが少し感じられて面白いんです。
2017年にはタミクレストとしての来日でしたが、今回はウスマンが1ヵ月ほど滞在して、北海道の旭川でアイヌのミュージシャンOKIとレコーディングを行ったりしています。“晴れ豆”では、ゲストのOKIが最初に演奏し、ドキュメンタリー映画『Caravan to the future~サハラと未来をつなぐ遊牧民たち』の上映、この映画の監督で、フランス人のお父さんと日本人のお母さんを持つ女性ジャーナリストのデコート・豊崎アリサさんと僕のトークを挿んでウスマンが演奏、最後にはウスマンとOKIの共演もあり、非常に盛りだくさんなイヴェントでした。
ウスマンが一人でやったコーナーはギターの弾き語りといった趣でしたが、トゥアレグの音楽はもともと素朴なもので、ショー・アップすることはありません。ただ座って、ギターを弾きながら歌うだけ。そんな派手さとは無縁の音楽だけど、しばらく聴いているうちに心の奥に届いてくるものがある。ギターは、アクースティックとエレキを引き分けていましたが、アフリカの人が弾くと、なぜかアフリカの音になるんですね。トゥアレグならではのギター・スタイルなのでしょうが、そのテイストは一度聴けばだれでも分かると思います。
ゲストのOKIは、樺太のアイヌが使っていたトンコリという楽器を演奏しました。トンコリはいまではほとんど廃れてしまったそうですが、彼が演奏するようになって少しずつ注目されるようになってきたそうです。海外で開催されるワールド・ミュージックのフェスティヴァルによく出演しているOKIは、日本国内より外国で知られているミュージシャンの一人ですね。彼は以前、映像関係の仕事でニューヨークに住んでいたことがあって、そのときにレゲエがすごく好きになり、けっこうな重低音も響かせる“OKI DUB AINU BAND”というグループも結成して、エレキ・トンコリを演奏しています。ちなみに、トンコリはもともとは5弦なのだそうですが、彼はいま6弦ヴァージョンを作って弾いています。フレットレスなこの楽器は、ちょっとチャップマン・スティックに似た弾き方なのですが、弦を抑えることはしないから、音程は弦の数だけしかありません。ただ、OKIの演奏で面白いのは、ときどきハーモニクスのような音を織り交ぜてくること。本人は意識しておらず、「出るときは勝手に出る」そうですが(笑)。素朴だけど、とてもきれいな響きを持った楽器ですね。ウスマンと同じように、フレーズを反復しながらアイヌの歌を披露しますが、この歌がまたいいんですよ。アイヌ語だから言葉の意味は分からないんですが、聴いていると不思議と気持ちが良くなる。二人の共演では、互いの音を聴きながら、音楽の表情がより豊かになって、すごく楽しかったです。
ところで、トゥアレグの人々はどのようにして主な生計を立てているのでしょうか。それが毎年行われている“塩キャラバン”なんですね。ラクダ乗りによる交易で、いくつかあるルートのうち、映画『Caravan to the future』で紹介されているのはニジェールの南部からナイジェリア北部まで3,000km、4ヵ月にわたる過酷な旅です。積んできた穀物を途中で岩塩に交換し、別の場所でそれを売り、そのお金で別のものを買って帰るという、昔から営まれてきた砂漠の貿易ですね。そういうキャラバンを行うのは長く遊牧生活をしていた人たちですが、ウスマンのような若者たちの中には、海外の情報も得られるスマートフォンを買うためにも現金収入のある生活をしたいと、遊牧生活を拒否する人も増えていることもあり、昔からの生活様式が失われようとしているというのです。このドキュメンタリー映画を撮ったデコート・豊崎アリサさんは、キャラバンを支援するためのクラウド・ファウンディングも立ち上げています。今回のイベントは、そうした活動に協力する意味合いも込めて開催されました。
Featured Artist
高尚なイメージと俗っぽさを併せ持つ哲学者?
David Byrne
トーキング・ヘッズのリーダーだったデイヴィッド・バーンが14年振りのソロ・アルバム『American Utopia』を発表しました。最初に聴いたときの印象は、すぐにいい曲だなと感じるものと、とらえどころのない曲だなと思うものが半々くらい(笑)。全体的に、大きなインパクトは感じなかったんですが、繰り返し聴いていくうちに馴染んでくるアルバムです。というわけで、今日はデイヴィッド・バーンの音楽について考えてみようと思います。
デイヴィッド・バーンは、とにかくいろんなことをやる人です。数年前には、ファット・ボイ・スリムと二人でイメルダ・マルコスを題材としたミュージカルのようなアルバムを作ったり、セイント・ヴィンセントという女性とダンス寄りの作品を作ったりしましたね。でも、現在66歳の彼はいまさらヒット曲を狙うつもりもないと思います。もともとかなりアーティなことをやってきた人で、トーキング・ヘッズが解散したあとにも、面白いレコードをいろいろ出しています。決してコマーシャルなことをやるわけではないのですが、やることはいつも話題を呼びます。もちろんトーキング・ヘッズの時代にも踊れる曲はあったけど、すごく知性のあるロックという感じでしたよね。“アート・ロック”というと、日本では別のニュアンスになってしまうんですが……。どこか高尚なイメージがありながら、ときどき俗っぽいこともやるのがこの人の面白いところ。ライヴでも、だれもやらないようなことを試みています。最後に日本に来たときは、全員が白い衣装でダンサーもいっぱいいて、しっかりと振り付けられたようなライヴでした。いまアメリカでやっているライヴは、全員がグレイのスーツを纏って、ケーブルを一切使用せず、キーボードやドラムも含めたすべてのミュージシャンが自在に動き回れるようになっているんですね。YouTubeに映像が上がっているのでご覧いただきたいのですが、またずいぶん舞台監督泣かせな凝ったことをやっているなと感心しました。
思えばトーキング・ヘッズの『Stop Making Sense』(1984年)の頃から、視覚的な面白さを感じさせるステージが得意でした。今回のライヴでは、トーキング・ヘッズの『Remain In Light』(1980年)からの曲もやっているようですね。お客さんの多くが聴きたいのはそのあたりなのだと思いますが、デイヴィッド・バーンは一時期、トーキング・ヘッズの曲をライヴでやりたがらなかったらしいんです。ハンドが解散した際の複雑な人間関係が原因なのでしょうけれど、いまはそんなわだかまりがなくなったのかもしれません。
僕はトーキング・ヘッズをデビュー・アルバムから聴いています。ラモーンズなどと同じ時期にサイア・レーベルから出てきて、アメリカのパンクが一気に盛り上がってきたなという感じでした。でも、トーキング・ヘッズはよく聴くとパンクとも違う、どこかエクセントリックなところがあって、デイヴィッド・バーンの歌い方や歌詞、曲作りも風変わりな印象を与えていました。そうかと思うと、2作目の『More Songs About Buildings And Food』(1978年)ではいきなりアル・グリーンの「Take Me To The River」をカヴァーしたりもする。そして、2作目からはプロデューサーにブライアン・イーノを迎えたことも興味深かったですね。この時期のイーノは、ベルリンでデイヴィッド・ボウイと共同作業をしたりして、ロクシー・ミュージックにいた頃のイメージとはちょっと違う面白い人物だなと、みんなが感じ始めていたんです。
トーキング・ヘッズの音楽は、やはり歌詞の面白さが特徴的です。例えば3作目の『Fear Of Music』(1979年)の「Life During Wartime」や、後にジミー・スコットがカヴァーした「Heaven」など、頭に引っかかるような言葉が用意されていて、面白いバンドだなとだんだん思い始めたところに、1980年に『Remain In Light』が出ます。これは本当に画期的なアルバムで、聴いた途端に「あ、時代が変わった」と、そんな気がしたものです。白人のバンドなのに、エッジの利いたファンクとアフリカのリズムを持っていて、さらにゴスペルの影響も感じられる。それらはすべてきちんと消化されていて、自分たちの音楽として斬新なサウンドに仕上げていました。それにはもちろん、ブライアン・イーノの手腕もあるのでしょうけどね。
イーノもバーンも、アート全般に興味があり、本をよく読む哲学者的なところがありますね。以前、「How Music Works」というバーンの書いた本を読んだことがありますが、すごく面白かったんです。分析力もあって、理論的な考え方をする人だなと思いました。バーンはまた、世界中の音楽をいつも聴いていて、いまはもう離れていますが、ルアカ・ボップというレコード・レーベルを設立してブラジル音楽のコンピレイションとか、メキシコや中米の新しいロック・バンドの紹介をしたり、ナイジェリアの謎のサイケデリック・ダンス・ミュージックをやる人の音源を掘り起こしたり、まだspotifyもない頃からWebサイトで自分のプレイ・リストを披露したりしています。
デイヴィッド・バーンはまた、政治的なテーマに敏感なことでも知られています。例のトランプ大統領による「肥だめ」発言があった際には、貶められたアフリカやカリブ海の音楽の魅力を伝えるプレイ・リストをすぐにspotifyで公開しました。そういう意味で、バーンは真っ当な人だと思います。日本に限らず、アメリカにも、音楽業界で政治に関する意見を公に言う人はあまりいません。特に若い人たちには少ない。こういうことを言ったら、一部の人たちに嫌われてしまい、セールスにも影響すると考えるのでしょう。いま声を上げて何か言うのは、パンクの人や黒人を除けば、相変わらずニール・ヤングやジャクソン・ブラウン、ときどきブルース・スプリングスティーン、そしてデイヴィッド・バーンあたりになるのかな。白人でそこそこ売れている人は、思っていてもなかなか発言はしないようですね。
Recommended Albums
聴くたびにじわりと馴染む、イーノとの共同プロデュース作
David Byrne『American Utopia』
話をデイヴィッド・バーンの最新作『American Utopia』に戻しましょう。バーンとロディ・マクドナルドの二人が共同プロデューサーとクレジットされているこのアルバムは、10曲中8曲がブライアン・イーノとバーンの共作曲となっていますが、音作りの面ではロディ・マクドナルドなどもかなり貢献したそうです。今日はその中から、「Every Day Is A Miracle」、“毎日が奇跡だ”という曲を聴いてみましょう。この曲も、何度か聴いているうちに好きになってきました。イントロはスローだし、メロディもあるのかないのか分からないんだけど、コーラスの部分はすごくポップな感じになって、音も厚みが出てラテン風のメロディが顔を出したりします。いつもいろんなことをやるデイヴィッド・バーンらしさが、上手い具合に曲の中で交ざり合っているような気がして、しばらく聴き続けているとだんだん面白くなってくるんです
「Everybody's Coming To My House」はシングルっぽいポップな曲です。ただ、このアルバムがいま、アメリカのラジオでかかるかというと、正直なところ分かりません。恐らく、普通のラジオ局ではなかなか難しく、かかったとしてもNPR(National Public Radio:アメリカの非営利ラジオ局)でしょう。まぁ、だいたいにおいて僕が興味を持つ音楽はみんなそうかもしれませんけれど……。ちなみにInterFMの「Barakan Beat」では、「It's Not Dark Up Here」をかけました。このアルバムは、デイヴィッド・バーンが好きな人ならとりあえず手に取るでしょう。もし、最初はよく分からなかったとしても、何度か聴き続けていると、じわりじわりとくるものがあると思いますよ。
1980年を象徴する画期的なアルバム
Talking Heads『Remain In Light』
先ほど、トーキング・ヘッズは歌詞が面白いと言いましたが、デイヴィッド・バーンの歌はズバリ言うことはほとんどありません。どこか変わったイメージを好んで作る人なんです。「何が言いたかったのかな?」という曲も昔から多いんですが、僕はあまり気にしません。メッセージをはっきりと伝えるタイプのミュージシャンではないんです。例えば最後のアルバム『Naked』(1988年)の「(Nothing But) Flowers」は、現代文明が崩れて花だけが残るという皮肉な内容で、そういう分かりやすい曲もないことはないのですが、少ないですね。僕がラジオでもよくかける『Remain In Light』(1980年)の「Once In A Lifetime」もめちゃくちゃ変な曲ですよね。僕は単純にこの曲の雰囲気やサウンドが好きなのですが、歌のメッセージは聴く人がそれぞれに受け取るべきでしょう。
それはさておき、トーキング・ヘッズも『Remain In Light』から1曲、「Born Under Punches (The Heat Goes On)」を聴いてみましょう。実はこの曲の歌詞について、僕は英語圏に生まれた人間でありながら、何を歌っているのか意識して聴いたことがなく(笑)、これまたサウンド全体を聴いている感じなんです。このバーンのしゃべるようなヴォーカル・スタイルは前代未聞で、「Once In A Lifetime」のミュージック・ヴィデオに出てくる、ネジが1本抜けてしまった牧師のような雰囲気そのまま(笑)。でも、こういう独自の世界を持っている人は面白いですからね。ほとんどがワン・コードで成り立っていたり、アフリカのポリ・リズムを採り入れていたりするロックのレコードなんか、あの頃にはなかったはずです。『Remain In Light』は本当に画期的なレコードで、僕にとってはいまだに1980年と言えばこのアルバム。80年代はこの1枚から始まったという感じです。
レコーディングはバハマのコンパス・ポイント・スタジオ。アイランド・レコードのクリス・ブラックウェルがバハマに建てたスタジオで、最先端の音作りがなされていました。バンド・メンバーのほかに、キング・クリムゾンに加入する前のエイドリアン・ブルーがギタリストとして参加していますが、彼の存在もかなり大きいと思います。そしてもちろん、この頃のブライアン・イーノのプロデューサーとしての貢献は見事でした。ちなみに、“トーキング・ヘッズ”とは、テレビのニュースなどでいつもバスト・アップでしか映らないキャスターのイメージのことです。
テレックスでやりとりした
「Thatness And Thereness」の歌詞
Ryuichi Sakamoto『B-2 Unit』
冒頭でお話ししたように、僕が吉祥寺に住んでいた頃、よく通っていたレコード店の一つが「芽瑠璃堂」でした。あの界隈では品揃えも豊富で評判のお店でしたね。当時、そこの店員だった後藤美孝さんが、1979年にパス・レコードというパンクの専門レーベルを起こします。後藤さんとは、芽瑠璃堂の頃から知り合いで、たまに食事を共にしたりしていました。その後、僕は吉祥寺を離れたため、後藤さんと会う機会も少なくなったんですが、1980年の春だったか、久々に電話をもらったら、「今度、僕の友達がレコードを作るんだけど、その中の1曲に英語の歌詞があるから、ちょっと手伝ってもらえないか」という話だったから、「もちろん、いいよ」と。その“友達”というのが坂本龍一で、英語の歌詞がある曲というのは彼のソロ・アルバム『B-2 Unit』(1980年)の「Thatness And Thereness」のことでした。
当時、YMOは『Solid State Survivor』(1979年)が大ヒットして、日本ではすでにスターになっていましたが、僕は細野晴臣の他のメンバーのことはよく知らなかったんです。細野さんは1970年代半ば頃のアルバムをそれなりに聴いていたし、ティン・パン・アリーなどの活動も知っていました。
坂本龍一を初めて紹介してもらったのは、Vol.22の“Live Review”でも触れたように、ロンドンへ向かう飛行機の中でした。彼らがレコーディングに出かけるのと、僕がシンコーミュージックの仕事で出張するのが同じ飛行機だったんです。そのときのことで、いまも覚えているのは、僕が携帯していたソニーの「プレスマン」というステレオ録音機能のついたウォークマンのような小型のカセット・レコーダーを、教授(坂本龍一)も持っていたことです。そういう細かいことはなぜか忘れないんですね(笑)。
その英語の歌詞は、僕がロンドンにいる間に日本語の原稿が出来上がるはずでしたが、結局もらうことはできませんでした。どうなるのかなと思って東京に帰ったら、ロンドンから会社のテレックスに歌詞が届きました。テレックスと言われても、もう知らない人も多いことでしょう。FAX以前の通信手段で、タイプライターの鍵盤でメッセージを入力すると紙テープに小さな穴が開けられ、その紙テープを読み取り機にセットして電話回線で先方に送ると、受け取る側の鍵盤が自動的に動いてメッセージが現れるんです。これが当時としては最先端の通信手段だったわけですね。電報より速かったし、わりに安かったと記憶しています。とにかく、そんな形で坂本龍一から歌詞が届きました。歌詞と言っても、「これは何だろう?」というような断片的な言葉で、しかもテレックスだからローマ字の日本語と英語が交じったものだったんじゃなかったかな(笑)。それを歌えるような形に僕が直すということだったわけですが、その時点では音はまだ聴いていなかったと思います。何とか仕上げた英語の歌詞をまたテレックスでロンドンに送り返しました。その後どうなったかは全く知らずにね。ちなみに、ロンドンから届いたテレックスは、残念ながらもう残ってはいません(笑)。
後日、ギャランティのことで坂本龍一のマネジャーと会うことになり、その場で彼の所属事務所であるヨロシタ・ミュージックで働く気はないかと誘われました。僕もシンコーミュージックを辞めようと思っていた時期だったので、そのお話を引き受けて、1980年の暮れからYMOの世界にどっぷりと浸かることになるわけです。
YMOに関しては、ファースト・アルバムからライヴ・アルバムの『Public Pressure』までの3枚にはほとんど興味がなかったんです。僕の好みとはあまりにもかけ離れていたから、ちゃんと聴くことがなかったんですね。でも、1980年の6月に出た『増殖』という25cm盤のちょっと変わったアルバムはスネークマンショーのコントが入っていて、音楽も少し変わったと感じて、「あ、このバンドは面白いな」と思い始めていた。そんな矢先に誘われたから、タイミングは良かったんですよ。また、ヨロシタ・ミュージックには矢野顕子や大村憲司をはじめ、個人的に好きなミュージシャンが所属していたこともあって、これは面白いかもしれないなと思ったんです。
それまでは、海外の音楽著作権を日本で管理する仕事をしていましたが、僕が好きな音楽は日本ではあまり売れないことが分かって、どこか限界を感じていたんです。今度は逆に、日本の新しいミュージシャンたちの著作権を海外で展開する仕事。上手くいくかどうかは分からないけれど、少なくともやってみる価値はあるだろうと思いました。
さて、この『B-2 Unit』は一部をロンドンのデニス・ボーヴェルのスタジオで録っています。教授と後藤さんと3人で訪れたスタジオはほぼ出来上がっていたようだけど、内装はまだ完成していなかったんじゃないかな。『B-2 Unit』が出たのは1980年の9月ですが、とにかく不思議なレコードでした。かなり前衛的なサウンドで、最初に聴いたときはどうとらえるべきか、ちょっと分からないところもありましたが、いま思えば同じ年に出たトーキング・ヘッズの『Remain In Light』とも、どこか似通った空気が感じられますね。
そして『B-2 Unit』をいま、アナログ・レコードで聴いてみて思うのは、このシンセサイザーの音は教授以外には作り得ないということです。特にこのアルバムでも多用されているSequential CircuitsのProphet-5は後のYMOでもよく使われていて、僕もその様子を見ていたという思い入れもありますが、あの独特なサウンドはいまだにアナログ・シンセの中でいちばん好きです。特に教授が作るProphet-5の音は素晴らしく、その感性は天才的でした。僕が関わったYMOの『BGM』や『Technodelic』でも、教授の音は聴けばすぐに分かります。
「Thatness And Thereness」の歌詞にはどうやら心理学用語も交ざっていたりして、いまだによく分からないところもあるけど、当時も無理に理解しようとはしませんでした。その後のやりとりも、一度調整したくらいで済んだと思います。この曲に関して、ちょっと心残りがあるとすれば、レコーディングには立ち会っていないので、英語の発音を指導できなかったことでしょうか(笑)。
“ニュー・ウェイヴ”
−−−時代の空気感が共有されていたあの頃
この『B-2 Unit』や先ほどの『Remain In Light』が出た1980年前後、世界的に巻き起こったムーヴメントの一つがニュー・ウェイヴです。1976年から77年にかけてイギリスで盛り上がったパンク・ロックは、セックス・ピストルズの解散とともに終わってしまったような雰囲気がありました。そのパンクのあとに残ったものが俗にニュー・ウェイヴと呼ばれるもので、両者に大きな共通点は見られないような気がしますが、パンクの方法論はニュー・ウェイヴにも引き継がれたと思います。
それまでのロックとは違う方法論とは、例えば必要最小限の音数や、いわゆるインディー精神などでしょうか。もちろん、ニュー・ウェイヴと呼ばれた人たちは個々にいろんな音楽性を持ち、いろんなものに影響を受けているから一概には言えません。例えばYMOのようにテクノの影響を受けたジョイ・ディヴィジョンみたいな人たちがいれば、とにかくエクセントリックなポップ・ロックを目指したXTCのような人たちがいたり、あるいはザ・バンドなどいろんなタイプの音楽を聴いていながらパンク時代のシンガー・ソングライターとして展開したエルヴィス・コステロのような人もいました。また、もう少し上の世代にはイアン・デューリーもいます。彼はパンク時代ならではの詩人ですね。プログレの時代から活躍していたピーター・ゲイブリエルはパンク~ニュー・ウェイヴの影響を受けて、よりとんがった音楽を作るようになりました。また、そうこうしているうちにスペシャルズが出てきてスカのリヴァイヴァルが起きたり、ルーツ・レゲエに脚光が当たったりしました。パンクの連中はジャマイカ人にすごくシンパシーを感じていたんですね。そしてレゲエのシーンではダブが流行り、当のボブ・マーリイは「Punky Reggae Party」という曲を書いたりしました。先ほどのデニス・ボーヴェルがプロデュースした『Bass Culture』(1980年)を出したリントン・クウェシ・ジョンスンも、パンク時代の詩人らしい反権力のとんがった表現をしていましたが、そんなところにもあの時代らしい空気を感じます。
このように、一口にニュー・ウェイヴと言っても、それぞれに音楽的なつながりがあるというわけでもない。“何でもあり”なところもなきにしもあらずですが(笑)、時代の空気感は共有されているんですね。スタジオ技術の変化ということでは、先ほどお話ししたダブのほかにも、スティーヴ・リリーワイトやヒュー・パジャムらのプロデューサー/エンジニアが時代の象徴となる“ゲート・エコー”などの新しい録音の手法を編み出していきました。
今日はこの後、ここKBJ KITCHENで出前DJを行うのですが、テーマはずばり「80年代ニュー・ウェイヴ」。そのために持ってきたレコードはシングル盤がたくさんあります。70年代はほとんどアルバムで聴いていました。でも、80年代初頭の新しい音楽はシングルで聴くのがいいなと思うことが多かったんです。僕も当時の年間ベストを振り返ってみると、半分くらいは曲単位で選んでいます。例えば、プリテンダーズだったらアルバムを聴いても十分聴き応えがあったけど、じゃあデペッシュ・モードはどうかというと、アルバムよりもシングルのほうに満足感があったりする。新しいポップな音楽が次々と発掘されていったこの時代は、そう感じるものが少なくなかったんです。シングル重視の傾向は、「MTV」の影響もあるでしょうね。また、80年代は12インチ・シングルがすごく流行った時代でもありました。アルバムに入っていないヴァージョンが収録されているので、僕もよく買っていました。
どちらかというとアメリカが強かった70年代から、その振り子がまたイギリスに戻ってきたという感じで、ニュー・ウェイヴを含めて面白い音楽が多かった80年代の初期ですが、僕が嫌いになるのはいわゆる産業ロックが天下を取るような頃です。TOTOやフォリナーなどがどこに行っても流れるような時代になると、僕はもう興味を失ってしまいました。また、デジタル・シンセサイザーが登場すると、坂本龍一のように音を作ることができないミュージシャンはプリセットの音しか使わないから、どのレコードからも同じシンセサイザーの音ばかり。ドラム・マシンのリズム・パターンも同じくで、ラジオを聴いていると「勘弁してくれよ」って言いたくなったものです。何もかもが画一的になってしまう前までは面白いものがたくさんあったんですけどね。
プロテスト・ソングも聴けるニュー・ウェイヴ期のXTC
XTC『English Settlement』
ニュー・ウェイヴと聞いて思い浮かぶものというと、プリテンダーズのデビュー・アルバム『Pretenders』(1980年)やスクリッティ・ポリッティのやはりデビュー作『Songs To Remember』(1982年)などがあり、いずれも初期ニュー・ウェイヴの傑作だと思いますが、今日はXTCを選んでみました。ニュー・ウェイヴの時期のXTCということで、持ってきたのは『English Settlement』(1982年)のレコードです。その中から、A面2曲目の「Ball And Chain」を聴きます。“Ball And Chain”とは、ビルなどを解体するときに使う大きな鉄球のことで、再開発の名の下に行われる破壊行為に対するプロテスト・ソングです。この曲の後半は、後期のビートルズみたいになっていきますね。メロトロンのようなキーボードの音も鳴っています。
XTCには、アンディ・パートリッジとコリン・モールディングという二人のソングライターいて、ギタリストのアンディはすごく風変わりでエクセントリックなポップ・ソングを作る人で、この曲を書いているベイシストのコリンはもっとまともな曲を作ります。アンディの曲もすごく面白いけど、ちょっとでもヒットしそうなのはだいたいコリンの曲です(笑)。このアルバムもプロデューサーはヒュー・パジャムですね。
僕がXTCをリアルタイムで聴き始めたのは一つ前の『Black Sea』(1980年)からでした。その後、テレビの音楽番組「ザ・ポッパーズMTV」をやるようになって彼らのミュージック・ヴィデオを観ることで、もっと以前にも面白い曲があることを知りました。『Black Sea』もサウンドにインパクトがあって、すごく面白いアルバムでしたね。デビュー当時のXTCはもうちょっとパンク寄りのサウンドではありましたが、やや風変わりなポップ・グループというイメージはすでに完成されていたと思います。
この『English Settlement』はアナログ・レコードで2枚組ですが、1枚に凝縮すればもっとよかったかもしれません。でも、サウンド的にも面白いし、好きなメロディがけっこう入っています。そして、時代は違うけれど、ビートルズの影響は免れない。そんな感じがすごくします。
話をデイヴィッド・バーンの最新作『American Utopia』に戻しましょう。バーンとロディ・マクドナルドの二人が共同プロデューサーとクレジットされているこのアルバムは、10曲中8曲がブライアン・イーノとバーンの共作曲となっていますが、音作りの面ではロディ・マクドナルドなどもかなり貢献したそうです。今日はその中から、「Every Day Is A Miracle」、“毎日が奇跡だ”という曲を聴いてみましょう。この曲も、何度か聴いているうちに好きになってきました。イントロはスローだし、メロディもあるのかないのか分からないんだけど、コーラスの部分はすごくポップな感じになって、音も厚みが出てラテン風のメロディが顔を出したりします。いつもいろんなことをやるデイヴィッド・バーンらしさが、上手い具合に曲の中で交ざり合っているような気がして、しばらく聴き続けているとだんだん面白くなってくるんです
「Everybody's Coming To My House」はシングルっぽいポップな曲です。ただ、このアルバムがいま、アメリカのラジオでかかるかというと、正直なところ分かりません。恐らく、普通のラジオ局ではなかなか難しく、かかったとしてもNPR(National Public Radio:アメリカの非営利ラジオ局)でしょう。まぁ、だいたいにおいて僕が興味を持つ音楽はみんなそうかもしれませんけれど……。ちなみにInterFMの「Barakan Beat」では、「It's Not Dark Up Here」をかけました。このアルバムは、デイヴィッド・バーンが好きな人ならとりあえず手に取るでしょう。もし、最初はよく分からなかったとしても、何度か聴き続けていると、じわりじわりとくるものがあると思いますよ。
先ほど、トーキング・ヘッズは歌詞が面白いと言いましたが、デイヴィッド・バーンの歌はズバリ言うことはほとんどありません。どこか変わったイメージを好んで作る人なんです。「何が言いたかったのかな?」という曲も昔から多いんですが、僕はあまり気にしません。メッセージをはっきりと伝えるタイプのミュージシャンではないんです。例えば最後のアルバム『Naked』(1988年)の「(Nothing But) Flowers」は、現代文明が崩れて花だけが残るという皮肉な内容で、そういう分かりやすい曲もないことはないのですが、少ないですね。僕がラジオでもよくかける『Remain In Light』(1980年)の「Once In A Lifetime」もめちゃくちゃ変な曲ですよね。僕は単純にこの曲の雰囲気やサウンドが好きなのですが、歌のメッセージは聴く人がそれぞれに受け取るべきでしょう。
それはさておき、トーキング・ヘッズも『Remain In Light』から1曲、「Born Under Punches (The Heat Goes On)」を聴いてみましょう。実はこの曲の歌詞について、僕は英語圏に生まれた人間でありながら、何を歌っているのか意識して聴いたことがなく(笑)、これまたサウンド全体を聴いている感じなんです。このバーンのしゃべるようなヴォーカル・スタイルは前代未聞で、「Once In A Lifetime」のミュージック・ヴィデオに出てくる、ネジが1本抜けてしまった牧師のような雰囲気そのまま(笑)。でも、こういう独自の世界を持っている人は面白いですからね。ほとんどがワン・コードで成り立っていたり、アフリカのポリ・リズムを採り入れていたりするロックのレコードなんか、あの頃にはなかったはずです。『Remain In Light』は本当に画期的なレコードで、僕にとってはいまだに1980年と言えばこのアルバム。80年代はこの1枚から始まったという感じです。
レコーディングはバハマのコンパス・ポイント・スタジオ。アイランド・レコードのクリス・ブラックウェルがバハマに建てたスタジオで、最先端の音作りがなされていました。バンド・メンバーのほかに、キング・クリムゾンに加入する前のエイドリアン・ブルーがギタリストとして参加していますが、彼の存在もかなり大きいと思います。そしてもちろん、この頃のブライアン・イーノのプロデューサーとしての貢献は見事でした。ちなみに、“トーキング・ヘッズ”とは、テレビのニュースなどでいつもバスト・アップでしか映らないキャスターのイメージのことです。
「Thatness And Thereness」の歌詞
冒頭でお話ししたように、僕が吉祥寺に住んでいた頃、よく通っていたレコード店の一つが「芽瑠璃堂」でした。あの界隈では品揃えも豊富で評判のお店でしたね。当時、そこの店員だった後藤美孝さんが、1979年にパス・レコードというパンクの専門レーベルを起こします。後藤さんとは、芽瑠璃堂の頃から知り合いで、たまに食事を共にしたりしていました。その後、僕は吉祥寺を離れたため、後藤さんと会う機会も少なくなったんですが、1980年の春だったか、久々に電話をもらったら、「今度、僕の友達がレコードを作るんだけど、その中の1曲に英語の歌詞があるから、ちょっと手伝ってもらえないか」という話だったから、「もちろん、いいよ」と。その“友達”というのが坂本龍一で、英語の歌詞がある曲というのは彼のソロ・アルバム『B-2 Unit』(1980年)の「Thatness And Thereness」のことでした。
当時、YMOは『Solid State Survivor』(1979年)が大ヒットして、日本ではすでにスターになっていましたが、僕は細野晴臣の他のメンバーのことはよく知らなかったんです。細野さんは1970年代半ば頃のアルバムをそれなりに聴いていたし、ティン・パン・アリーなどの活動も知っていました。
坂本龍一を初めて紹介してもらったのは、Vol.22の“Live Review”でも触れたように、ロンドンへ向かう飛行機の中でした。彼らがレコーディングに出かけるのと、僕がシンコーミュージックの仕事で出張するのが同じ飛行機だったんです。そのときのことで、いまも覚えているのは、僕が携帯していたソニーの「プレスマン」というステレオ録音機能のついたウォークマンのような小型のカセット・レコーダーを、教授(坂本龍一)も持っていたことです。そういう細かいことはなぜか忘れないんですね(笑)。
その英語の歌詞は、僕がロンドンにいる間に日本語の原稿が出来上がるはずでしたが、結局もらうことはできませんでした。どうなるのかなと思って東京に帰ったら、ロンドンから会社のテレックスに歌詞が届きました。テレックスと言われても、もう知らない人も多いことでしょう。FAX以前の通信手段で、タイプライターの鍵盤でメッセージを入力すると紙テープに小さな穴が開けられ、その紙テープを読み取り機にセットして電話回線で先方に送ると、受け取る側の鍵盤が自動的に動いてメッセージが現れるんです。これが当時としては最先端の通信手段だったわけですね。電報より速かったし、わりに安かったと記憶しています。とにかく、そんな形で坂本龍一から歌詞が届きました。歌詞と言っても、「これは何だろう?」というような断片的な言葉で、しかもテレックスだからローマ字の日本語と英語が交じったものだったんじゃなかったかな(笑)。それを歌えるような形に僕が直すということだったわけですが、その時点では音はまだ聴いていなかったと思います。何とか仕上げた英語の歌詞をまたテレックスでロンドンに送り返しました。その後どうなったかは全く知らずにね。ちなみに、ロンドンから届いたテレックスは、残念ながらもう残ってはいません(笑)。
後日、ギャランティのことで坂本龍一のマネジャーと会うことになり、その場で彼の所属事務所であるヨロシタ・ミュージックで働く気はないかと誘われました。僕もシンコーミュージックを辞めようと思っていた時期だったので、そのお話を引き受けて、1980年の暮れからYMOの世界にどっぷりと浸かることになるわけです。
YMOに関しては、ファースト・アルバムからライヴ・アルバムの『Public Pressure』までの3枚にはほとんど興味がなかったんです。僕の好みとはあまりにもかけ離れていたから、ちゃんと聴くことがなかったんですね。でも、1980年の6月に出た『増殖』という25cm盤のちょっと変わったアルバムはスネークマンショーのコントが入っていて、音楽も少し変わったと感じて、「あ、このバンドは面白いな」と思い始めていた。そんな矢先に誘われたから、タイミングは良かったんですよ。また、ヨロシタ・ミュージックには矢野顕子や大村憲司をはじめ、個人的に好きなミュージシャンが所属していたこともあって、これは面白いかもしれないなと思ったんです。
それまでは、海外の音楽著作権を日本で管理する仕事をしていましたが、僕が好きな音楽は日本ではあまり売れないことが分かって、どこか限界を感じていたんです。今度は逆に、日本の新しいミュージシャンたちの著作権を海外で展開する仕事。上手くいくかどうかは分からないけれど、少なくともやってみる価値はあるだろうと思いました。
さて、この『B-2 Unit』は一部をロンドンのデニス・ボーヴェルのスタジオで録っています。教授と後藤さんと3人で訪れたスタジオはほぼ出来上がっていたようだけど、内装はまだ完成していなかったんじゃないかな。『B-2 Unit』が出たのは1980年の9月ですが、とにかく不思議なレコードでした。かなり前衛的なサウンドで、最初に聴いたときはどうとらえるべきか、ちょっと分からないところもありましたが、いま思えば同じ年に出たトーキング・ヘッズの『Remain In Light』とも、どこか似通った空気が感じられますね。
そして『B-2 Unit』をいま、アナログ・レコードで聴いてみて思うのは、このシンセサイザーの音は教授以外には作り得ないということです。特にこのアルバムでも多用されているSequential CircuitsのProphet-5は後のYMOでもよく使われていて、僕もその様子を見ていたという思い入れもありますが、あの独特なサウンドはいまだにアナログ・シンセの中でいちばん好きです。特に教授が作るProphet-5の音は素晴らしく、その感性は天才的でした。僕が関わったYMOの『BGM』や『Technodelic』でも、教授の音は聴けばすぐに分かります。
「Thatness And Thereness」の歌詞にはどうやら心理学用語も交ざっていたりして、いまだによく分からないところもあるけど、当時も無理に理解しようとはしませんでした。その後のやりとりも、一度調整したくらいで済んだと思います。この曲に関して、ちょっと心残りがあるとすれば、レコーディングには立ち会っていないので、英語の発音を指導できなかったことでしょうか(笑)。
−−−時代の空気感が共有されていたあの頃
この『B-2 Unit』や先ほどの『Remain In Light』が出た1980年前後、世界的に巻き起こったムーヴメントの一つがニュー・ウェイヴです。1976年から77年にかけてイギリスで盛り上がったパンク・ロックは、セックス・ピストルズの解散とともに終わってしまったような雰囲気がありました。そのパンクのあとに残ったものが俗にニュー・ウェイヴと呼ばれるもので、両者に大きな共通点は見られないような気がしますが、パンクの方法論はニュー・ウェイヴにも引き継がれたと思います。
それまでのロックとは違う方法論とは、例えば必要最小限の音数や、いわゆるインディー精神などでしょうか。もちろん、ニュー・ウェイヴと呼ばれた人たちは個々にいろんな音楽性を持ち、いろんなものに影響を受けているから一概には言えません。例えばYMOのようにテクノの影響を受けたジョイ・ディヴィジョンみたいな人たちがいれば、とにかくエクセントリックなポップ・ロックを目指したXTCのような人たちがいたり、あるいはザ・バンドなどいろんなタイプの音楽を聴いていながらパンク時代のシンガー・ソングライターとして展開したエルヴィス・コステロのような人もいました。また、もう少し上の世代にはイアン・デューリーもいます。彼はパンク時代ならではの詩人ですね。プログレの時代から活躍していたピーター・ゲイブリエルはパンク~ニュー・ウェイヴの影響を受けて、よりとんがった音楽を作るようになりました。また、そうこうしているうちにスペシャルズが出てきてスカのリヴァイヴァルが起きたり、ルーツ・レゲエに脚光が当たったりしました。パンクの連中はジャマイカ人にすごくシンパシーを感じていたんですね。そしてレゲエのシーンではダブが流行り、当のボブ・マーリイは「Punky Reggae Party」という曲を書いたりしました。先ほどのデニス・ボーヴェルがプロデュースした『Bass Culture』(1980年)を出したリントン・クウェシ・ジョンスンも、パンク時代の詩人らしい反権力のとんがった表現をしていましたが、そんなところにもあの時代らしい空気を感じます。
このように、一口にニュー・ウェイヴと言っても、それぞれに音楽的なつながりがあるというわけでもない。“何でもあり”なところもなきにしもあらずですが(笑)、時代の空気感は共有されているんですね。スタジオ技術の変化ということでは、先ほどお話ししたダブのほかにも、スティーヴ・リリーワイトやヒュー・パジャムらのプロデューサー/エンジニアが時代の象徴となる“ゲート・エコー”などの新しい録音の手法を編み出していきました。
今日はこの後、ここKBJ KITCHENで出前DJを行うのですが、テーマはずばり「80年代ニュー・ウェイヴ」。そのために持ってきたレコードはシングル盤がたくさんあります。70年代はほとんどアルバムで聴いていました。でも、80年代初頭の新しい音楽はシングルで聴くのがいいなと思うことが多かったんです。僕も当時の年間ベストを振り返ってみると、半分くらいは曲単位で選んでいます。例えば、プリテンダーズだったらアルバムを聴いても十分聴き応えがあったけど、じゃあデペッシュ・モードはどうかというと、アルバムよりもシングルのほうに満足感があったりする。新しいポップな音楽が次々と発掘されていったこの時代は、そう感じるものが少なくなかったんです。シングル重視の傾向は、「MTV」の影響もあるでしょうね。また、80年代は12インチ・シングルがすごく流行った時代でもありました。アルバムに入っていないヴァージョンが収録されているので、僕もよく買っていました。
どちらかというとアメリカが強かった70年代から、その振り子がまたイギリスに戻ってきたという感じで、ニュー・ウェイヴを含めて面白い音楽が多かった80年代の初期ですが、僕が嫌いになるのはいわゆる産業ロックが天下を取るような頃です。TOTOやフォリナーなどがどこに行っても流れるような時代になると、僕はもう興味を失ってしまいました。また、デジタル・シンセサイザーが登場すると、坂本龍一のように音を作ることができないミュージシャンはプリセットの音しか使わないから、どのレコードからも同じシンセサイザーの音ばかり。ドラム・マシンのリズム・パターンも同じくで、ラジオを聴いていると「勘弁してくれよ」って言いたくなったものです。何もかもが画一的になってしまう前までは面白いものがたくさんあったんですけどね。
ニュー・ウェイヴと聞いて思い浮かぶものというと、プリテンダーズのデビュー・アルバム『Pretenders』(1980年)やスクリッティ・ポリッティのやはりデビュー作『Songs To Remember』(1982年)などがあり、いずれも初期ニュー・ウェイヴの傑作だと思いますが、今日はXTCを選んでみました。ニュー・ウェイヴの時期のXTCということで、持ってきたのは『English Settlement』(1982年)のレコードです。その中から、A面2曲目の「Ball And Chain」を聴きます。“Ball And Chain”とは、ビルなどを解体するときに使う大きな鉄球のことで、再開発の名の下に行われる破壊行為に対するプロテスト・ソングです。この曲の後半は、後期のビートルズみたいになっていきますね。メロトロンのようなキーボードの音も鳴っています。
XTCには、アンディ・パートリッジとコリン・モールディングという二人のソングライターいて、ギタリストのアンディはすごく風変わりでエクセントリックなポップ・ソングを作る人で、この曲を書いているベイシストのコリンはもっとまともな曲を作ります。アンディの曲もすごく面白いけど、ちょっとでもヒットしそうなのはだいたいコリンの曲です(笑)。このアルバムもプロデューサーはヒュー・パジャムですね。
僕がXTCをリアルタイムで聴き始めたのは一つ前の『Black Sea』(1980年)からでした。その後、テレビの音楽番組「ザ・ポッパーズMTV」をやるようになって彼らのミュージック・ヴィデオを観ることで、もっと以前にも面白い曲があることを知りました。『Black Sea』もサウンドにインパクトがあって、すごく面白いアルバムでしたね。デビュー当時のXTCはもうちょっとパンク寄りのサウンドではありましたが、やや風変わりなポップ・グループというイメージはすでに完成されていたと思います。
この『English Settlement』はアナログ・レコードで2枚組ですが、1枚に凝縮すればもっとよかったかもしれません。でも、サウンド的にも面白いし、好きなメロディがけっこう入っています。そして、時代は違うけれど、ビートルズの影響は免れない。そんな感じがすごくします。
Coming Soon
マヌーシュ・スウィングの後継者による日本ツアー
Tchavolo Schmitt
2018年7月4日(水)◎ビルボードライブ大阪
2018年7月5日(木)◎所沢市民文化センター ミューズ キューブホール[ゲスト:太田恵資]
2018年7月7日(土)◎めぐろパーシモンホール 大ホール「ジャズ・ワールドビート 2018」出演[ゲスト: 渡辺香津美、太田惠資]
2018年7月8日(日)◎穂の国とよはし芸術劇場PLAT
2018年7月9日◎(月)ビルボードライブ東京
ギタリストのチャヴォロ・シュミットが7月に来日ツアーを行います。彼のギター演奏は、ジャンゴ・ラインハルトのスタイルで、マヌーシュ・ギターと呼ばれるものです。マヌーシュというのはフランスのジプシーのことで、彼らの音楽スタイルをスウィングとかマヌーシュと言っています。使うギターもジャンゴと同じセルマーのモデルを弾きます。音の抜けがいちばんいいらしいんですね。彼らが演奏するのはスタンダードが多く、ジャンゴもオリジナルのほかは当時の流行り歌を演奏することが多かったんです。いまでもみんな同じスタイルでやっていて、それはそれでいつ聴いても楽しい。今日持ってきたアルバムは2001年の『Miri Familia』です。1曲目のガーシュウィンの「Lady Be Good」を聴いてみましょう。リード・ギター、リズム・ギター、ベイスにヴァイオリンが入るか入らないかという編成もジャンゴのスタイルを踏襲しています。ただ、この曲にはギタリストが5人もいますね(笑)。
古いスタイルではありますが、こういう音楽はほかにないんですよね。時代を超えた本当の面白さに、初めて聴く人はみんなびっくりすると思います。
ジャンゴが出てくるまで、ジャズ・ギターというと基本的にはリズム・ギターだけでした。最初はヨーロッパだけでやっていたジャンゴは、1930年代のアメリカでは認識されていなかったと思います。ちょうど同じ時期には、同じくスウィングを素材にしてチャーリー・クリスチャンが出てきます。スタイルはそれぞれ異なりますが、洋の東西で画期的なギタリストが登場したということになるわけですね。
ジャンゴのスタイルはドラムのない、ギターとベイスとヴァイオリンという編成で、独特の爽やかさのある世界を表現しています。チャヴォロ・シュミットのライヴを僕は2回ほど観ていますが、今回もきっと楽しいツアーになると思いますよ。
PB’s Sound Impression
音質のいいカフェ・レストラン
“KBJ KITCHEN”
「長時間聴いても疲れることなく楽しめる音ですね」
今回の試聴に協力してくれたのは東京・国分寺のカフェ・レストラン「KBJ KITCHEN」。カウンターの奥に鎮座するJBL 4344をはじめ、音響システムへのこだわりも当店の特徴で、店内の一角にはDJブースも備えています。長く飲食業界に携わってきた店長の米倉山輝さんと、その実兄で音楽イベントの企画も手掛けるグラフィック・デザイナーの米倉八潮さんが兄弟でタッグを組み、地元である国分寺の音楽・食文化に貢献することで街を活性化させたいと立ち上げたのがこの「KBJ KITCHEN」です。
音響システムのワイアリングを担当したACOUSTIC REVIVEの石黒謙さんは、「このお店の音響設計は八王子のDJバー“SHeLTeR”の溝口卓也さんが手掛けて、以前A Taste of Music Vol.6で訪問した神宮前“bonobo”の成(せい)浩一さんとACOUSTIC REVIVEでコラボした形です。そもそも、このJBLは成さんのお店の倉庫で眠っていたものなんですよ。これをKBJ KITCHENさんに導入するにあたって、成さんからご相談を受けました。私としてもいい音のお店が増えることは大賛成なので協力させていただきました。うちでは電源周りなどのワイアリングをやらせていただきましたが、全体的に溝口さんと成さんのアイデアがふんだんに盛り込まれています」と説明。八潮さんは、「お陰様で音にもご好評をいただいています。基本的に午後9時30分以降のバー・タイムは大きめの音で、それ以前はファミリー層のお客様も多く会話ができる程度の音量に設定していますが、大音量でなくても音質の良さが感じられると、驚かれる方が多いですね」と手応えを語ります。そんな高音質の理由の一つとして石黒さんは、「スピーカーにはデジタル制御のチャンネル・デバイダーを使って音響特性をフラットに調整して、どこで聴いてもほぼ均等な音か届くように工夫されています。カフェとしては異例の高レベルな音響設備となっていますね」と補足。さらに、「JBLのスピーカーはじゃじゃ馬的なところがありますが、とても上手く調整されています」と評価します。
バラカンさんは、「スタジオ・モニターにも使われるというこの大きなスピーカーは、どちらかというと柔らかい音という印象でした。トーキング・ヘッズを試聴したときに感じたのは、それぞれの楽器がすごくバランス良く聞こえたことです。音楽のインパクトを失うことなく、こういうカフェという環境の中で聴きやすい音という感じを受けました。長時間聴いていても疲れることなく楽しめるのではないでしょうか。お店の前に広がる公園の緑の借景もいいですね」とその印象を語ってくれました。(編集部)
A Taste of Musicの取材後は、「KBJ KITCHEN」でバラカンさんの出前DJがスタート!「今日は“80年代ニュー・ウェーヴ”というお題をいただきました。それを少しユルく解釈しつつ、僕が好きな80年代初頭の音楽を中心にお届けします」と、2時間にわたり主に80'sの素敵なレコードで店内に集まった音楽ファンを沸かせた
◎出前DJ“80年代ニュー・ウェイヴ”プレイ・リスト
①Talking Heads “Once In A Lifetime”
②Laurie Anderson “Excellent Birds”
③Rip Rig & Panic “You're My Kind Of Climate”
④Pigbag “Papa's Got A Brand New Pigbag”
⑤Kid Creole And The Coconuts “Annie, I'm Not Your Daddy”
⑥Coati Mundi “Me No Pop I”
⑦Gabi Delgado “History Of A Kiss”
⑧Depeche Mode “Just Can't Get Enough”
⑨Quotations“Havana Moon”
⑩Elvis Costello & The Attractions“I Can't Stand Up For Falling Down”
⑪The Pretenders“Talk Of The Town”
⑫Monsoon “Ever So Lonely”
⑬Scritti Politti “The "Sweetest Girl"”
⑭The Specials “Rat Race”
⑮Rico “Jungle Music”
⑯Grace Jones “Private Life”
⑰Linton Kwesi Johnson “Inglan Is A Bitch”
⑱XTC “Ball And Chain”
⑲XTC “Senses Working Overtime”
⑳Working Week “Venceremos(We Will Win)”
㉑Talking Heads “This Must Be The Place(Naive Melody)”
㉒Tom Tom Club “Wordy Rappinghood”
㉓Afrika Bambaataa & Soulsonic Force “Looking For The Perfect Beat”
㉔Little Benny & The Masters “Who Comes To Boogie”
㉕Yazoo “Only You”
㉖Roxy Music “Avalon”
㉗安東ウメ子 “luta Upopo(M.Rux Remix)”
㉘Japan “Ghosts”
◎主な試聴システム
スピーカー:JBL 4344
アンプ:ROTEL RB-880
チャンネル・デバイダー:DEQX PDC2.6P Kurizz Labo
コンソール:RODEC MX180 Original
アナログ・レコード・プレーヤー:TECHNICS SL-1200 MK3
CDプレーヤー:PIONEER CDJ-350
カフェ・レストラン KBJ KITCHEN
今年4月10日にオープンしたばかりの「KBJ KITCHEN」。国分寺駅(JR中央本線・西武多摩湖線)の南口からすぐそばにある国分寺マンションの1階にある。ちなみに「KBJ」とは、「“国分寺”の略であり、“君と僕とのジョイタイム”の略でもあります」とのこと。ハンバーグやカレー、オムライスにパスタなどフードやスイーツ、ドリンクも充実。ランチ営業も!
営業時間:11:30〜23:30
定休日:月曜
住所:東京都国分寺市南町2-18-3 国分寺マンション102
Tel.:042-349-6234
ホームページ:https://kbj-k.jp